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2011年10月31日
ガーダシル導入
4価ワクチン(4種類のHPVウイルスに対するワクチン)のガーダシル導入しました。希望のある方は、お知らせください。
2011年10月30日
朗報
不育症で今までヘパリン療法されていた方も多いと思いますが、自費でけっこうな自己負担となっていました。今月より、保険での治療が可能となりました。ただし、現状では自己注射は、原則認めていません。12月くらいには自己注射も適応になる予定です。
2011年10月28日
週末
この数ヶ月の、ハードな日々もこの数日、一息状態です。少し頭も働くようになってきたので、quality向上への秘策を考える余裕も出てきました。この状態がもう少し続く事を心より期待します
2011年10月27日
ガーダシル
新しい(本当は、、最も早期に導入されているのですが)頚癌ワクチンであるガーダシルの導入を、早々に検討しています。従来の(本当はこれの方が、後発ですが)サーバリックスはHPVウイルスの16、18型に効果がありましたが、ガーダシルは、これに加えて6,11型にも効果があります。6,11型はコンジローマというイボの原因ウイルスです。つまり頚癌+コンジローマに有効という事です。導入されればお知らせします。
2011年10月25日
久々
今日も先週に引き続きテニスしました(30分程度のウォーミングアップ程度です)。この3週間近く何もせずに過ごしたので、体力はお風邪前の状態です。頭もすっきりしてきました。やはり、疲労の無い状態で診療を行わないと、質の高い医療の実践は困難です。年明けからは、少し診療内容を絞って、量を診るのではなく、質を向上に邁進したいと思います。
2011年10月24日
次回のセミナー
一般不妊用のこうのとり教室は11/19の15時から
体外受精セミナーは11/12の16時から予定していてます。まだ予約には余裕がありますので、多くの参加お待ちしています。
2011年10月22日
セミナー終了
無事に終了しました。久々に第3部に出席できました。3ヶ月ぶりですかね。今後はセミナー等の充実も図って行きたいと思います。次回も多くの参加、お待ちしています。
2011年10月21日
明日は
明日は定例のセミナーが有ります。予約等を見ると、私も参加可能のようで、最後のQ&A楽しみにしていてください。
2011年10月20日
蒸し暑いです
いつものようにいつもの愛犬(?)との散歩帰りですが、久々に蒸し暑いですね。雨が近づいているのでしょうか?今日も体力温存で早々に寝たいと思います。
2011年10月18日
正月休み
決めていないのですが、28-1/3辺りが妥当と思いますが、体調に合わせてもう少し長めの休暇にするかもしれません。早々に決めたいと思います
2011年10月17日
11月の予定
体外受精セミナーは11月12日の16時から、いつものこうのとり教室は11月19日15時からです。最近では、体外受精セミナーへの出席の方が多くなっていますが、治療初期の方は是非、コウノトリ教室受講をお勧めします。多数の参加お待ちしています。
2011年10月16日
良く考えると
続きの話ですが、あの時の入院が、その後の人生の分水嶺になっていたのかも知れません。体調不良からしばらく無理もできない状態も続いた事から、色々な事を考える余裕が出来たように思います。その後は予定通り大学院に進学したものの、その後の行き先へのビジョンも無く過ごしていたところで、亡き恩師のアドバイスに従い医学の道へと大変更しました。今回の体調不良も、後ほどに考えれば、今後の方針を決めるきっかけになっているように思います
2011年10月15日
入院中のサプライズ
昨日までの話の続きです。1ヶ月の入院期間、同級生始め多くの方が見舞いに来てくれました。当時は人付き合いも結構良かったんでしょうね。私の所属していた建設工学科は1学年わずか34名しかいないので、いい意味でのアットホームな所でした。ほぼ全員とはそれなりの人間関係だったように記憶してます。サプライズの見舞い客としては、私の実母です。実母は元来、いい意味での無干渉主義者でした。小中高、もちろん大学にも1度も現れた事はありませんでした。学級参観、運動会・・・にももちろん来た事はありません。テストも通知表もまともに見せた記憶もありませんし、見せろとも要求もしませんでした。この事は、半ば私自身の希望でも有った様に思いますが、私の実母の性格的なところに負うことが多いようにも思います。その実母が見舞いに来たのにはかなりの驚きでした。数時間程度病院にいたように思いますが、その日のうちに帰りました。その後の医学部での学生生活を含めて、最初で最後の訪問でした。ほとんどの事に動じない実母が現れたぐらいですので、腎炎での入院は相当重大事件という認識されていたのでしょうね。
2011年10月14日
退院後
過去の記憶が甦りました。急性腎炎で退院後は無理も出来ず、元々の卒論のテーマフィールドワークで住宅調査をして統計整理する事でしたが、とてもできる状態ではありませんでした。仕方なく、厚生省の出していた住宅の統計白書(正式名忘れました)のようなものを資料に、何やら統計分析しました。当時はコンピュータが出始めていた時代で、私も大学の電算室に日参して、何やら統計計算した記憶があります。確かフォートラムというソフトを使いました。もちろんフロッピーディスクすら無い時代で何やらカードにパンチして巨大なコンピューターに入力しました。隔世の感があります。またワープロも無い時代ですから、卒論は基本手書きです。ご存知で無いかもしれませんが、私の字は今も幼稚園レベルの字です。そこで、後輩の教育学部の女子に清書をお願いしました。100Pの論文ですが、自宅の書斎の奥の奥に眠っています。あの時代は携帯も無く、パソコンも無く何も有りませんでしたが、何かをするにも人間を頼らざるを得ませんでした。ある意味では、私自身も今よりは少しは人間関係を重視して暮らしていた時代です。取り留めない話で失礼しました。
2011年10月13日
50%?
体調の回復が遅れてます。やっと50%くらいでしょうか?既に、10日近くになります。この状態は32年ぶりです。昭和55年の事です。当時、福井大学工学部建設工学科4年生で卒論に追われて、連日徹夜に近い作業をしていました。今回と同じ10月でした。その時も少し風邪かなと思い1日寝れば治ると考え、4.5畳の下宿で寝ていましたが、その後、高熱が(40度以上)数日続きました。独居ですので病院にも行けず様子を見ていましたが、体のだるさ等はいっこうに改善しないので、病院にいったところ(発症から10日くらいは経過してました)、多量の血尿と蛋白尿が出ており、急性腎炎と診断され即入院となり、1ヶ月も入院しました。今回もその時とほぼ同じ症状でした。高熱→扁桃腺の腫脹→全身倦怠感で、おそらくウイルス感染に持続した溶連菌の感染が、今回も生じたものと考えます。前回との大きな違いは、早々に対症療法と抗菌治療した事です。火曜くらいまではけっこう血尿が出ていましたが、本日はほぼ消失しています。山場は越えたようです。この数年蓄積している疲労が大きな原因と考えます。また疲労が大きくなると頭の機能も低下し目標としている質の高い医療の完成が出来ません。
今回を、いい機会にして年明けの診療体制をどのような形にしていくか、考えて行こうと思っています
2011年10月10日
再開
何とか体も調子は戻ってきました。後数日おとなしくすれば本調子になると思います。早々に寝て体力温存図りたいと思います。
2011年10月09日
寝込んでます
実は先週の火曜あたりから風邪症状が出現、一旦金曜の午後に回復、土曜の12時くらいまでは良かったのですが、その後病状が急激悪化して、寝込んでします。多分、昨日からの風邪症状は先週火曜とは異なるのでしょう。ラッキーにも今日明日は完全オフで11日に臨みたいと思います。
この20年で最悪の1週間でした。
2011年10月07日
巨星墜つ
アップルのジョブズ氏がすい臓がんで亡くなりました。スタンフォード大学の卒業式の講演内容を見ましたが、内容に感動しました。点と点をつなぐ話が特に良いです。私自身もあまり過去にとらわれない人間と思っていましたが、ジョブズ氏の前向きな考え方には脱帽です。以下が講演内容です。
最初は、点と点をつなぐ話です。
私はリード大学を6ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居残って授業を聴講していました。ではなぜ辞めることになったか?
その理由は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生でしたので、彼女は私を養子に出すことを決めていたのです。彼女は育ての親は大学を出ているべきだと強く感じていたため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていました。ところが、私が生まれる直前に、本当に欲しいのは女の子だと。そういういきさつで、養子縁組を待っていた今の両親は夜中に「予想外に男の子が生まれたので欲しいですか?」という電話を受けたのです。彼らは「もちろん」と答えました。しかし、生みの母親も後で知ったことですが、母親は大学を出ていない、父親は高校も出ていませんでした。そこで、生みの母親は養子縁組の書類へのサインを拒みましたが、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。これが私の人生の出発点になったのです。
17年後、実際に大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。半年もすると、私はそこに何の価値も見出せなくなっていたのです。人生で何がやりたいのか私自身に考えがなかったですし、それを見つける手助けを大学がどうしてくれるか思いつきませんでした。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。だから退学を決めたのです。それが全てうまく行く道だと信じて。もちろん当時はかなり怖かったです。ただ、いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって面白そうな授業に集中できたからです。
寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。これが私の楽しみでした。こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験があとになって値段がつけられない価値に変わったのです。ひとつ具体的な話をしてみましょう。
リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフィ教育がありました。見渡せばキャンパスにはポスターから戸棚に貼るラベルまで美しい手書きのカリグラフィばかりだったのです。私は退学したのですから普通の授業はとる必要もないのでカリグラフィの授業を受けて手法を学ぶことにしたのです。私はそこでセリフやサンセリフの書体について習ったり文字と文字のスペースを変えていく概念についてつまり異なる文字のコンビネーション手法など素晴らしいフォントの作り方を学問として学びました。フォントは、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さでしたのでそれは私にとって魅力的な発見となったのです。
フォントは、人生の役立つという期待すらありませんでした。しかし、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しいフォントを持つコンピュータが誕生したのです。もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎないのでこうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えることなんです。
もう一度言います。未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。
2011年10月06日
定例
最近は毎週木曜の午後に、研修を行っています。今回は新しく日本で接種可能になった、子宮頸癌ワクチンであるガーダシルに関してのものでした。日本ではサーバリックスの後の導入ですが、世界的には、ガーダシルが先発です。サーバリックスはHPVウイルス2タイプのみに有効ですが、ガーダシルは4タイプに効力があります。早急に導入する予定です。

2011年10月05日
いつもの季節です
またまた、あの季節です。そうです、インフルエンザです。来週の週明けの火曜から院内で接種する体制を整えました。いつも言ってますが、インフルエンザは妊娠に対して、ネガティブな影響はありません。妊娠中に罹患すると重症化します。来院中の方は出来るだけ早い接種をお勧めします
2011年10月04日
テニス
2週連続しましたが、少し暖かかったですが、運動にはほぼ最適の気候でした。最近めっきりとテニスの機会が減っており、たまにすると翌日の朝は筋肉痛です。今夜はいつものように、いつもの犬との散歩も有ります。老体に鞭を打って夜に備えたいと思います
2011年10月01日
終わりと言えば
イチローの大リーグ年間200本安打の連続記録も途切れました。2000年からと言う事は、開院と同時に大記録が始まったんですね。この終了も他人事のように思えません。誰もが力が衰え思うような仕事が出来なくなるのは致し方ない事なので、この状況に納得するしかないです。
それに比べれば、当院には何ら記録に残る事も無いですが力が衰えるまで、平凡な記録でしょうが、真面目に生殖医療に取り組んでいきたいものです。